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【戦国武将総選挙ランキング2019】ベスト20位の武将やエピソードについてご紹介

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2019年12月28日放送の「国民10万人がガチ投票!戦国武将総選挙」では

「あなたが最も好きな戦国武将は誰ですか」というアンケートを47都道府県で

約10万人に実施した結果を元にランキング形式でベスト20が発表されます。

 

果たしてどの武将がランキング1位に選ばれるのか気になりますよね。

また、ベスト20位で発表された武将のエピソードや魅力なども合わせて

紹介されるということでそんな戦国武将ランキングについて

放送内容をご紹介していきます。

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戦国武将総選挙の投票内容

全国約10万人が好きな武将を1位~5位まで投票してその集計結果を

ベスト20位までランキング形式にしています。

投票の際は以下のポイントとして加点していきます。

1位(100ポイント)

2位(80ポイント)

3位(60ポイント)

4位(40ポイント)

5位(20ポイント)

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戦国武将ランキングベスト20

随時記事更新していきます。

20位:上杉景勝(1555年~1623年)231,193ポイント

東北圏(山形県第12位・新潟県第10位)で多くの票数を獲得しました。

そして直江兼続・前田慶次・真田幸村といった有能な部下に慕われた戦国武将。

 

上杉景勝とは・・・戦の勝率9割以上の戦国の猛者・上杉謙信に認められ

養子でなおかつ後継者となった人物です。

また豊臣秀吉からの信頼され会津の領主にも任されたそうです。

 

上杉景勝を選んだ理由として

  • 親しみを感じる
  • 相手の気持を重んじる
  • 人間くさい
  • 義理に厚い人

という意見がありました。

19位:竹中半兵衛(1544~1579年)344,816ポイント

竹中半兵衛とは・・・腕っ節より頭で成り上がった頭脳は武将。

豊臣秀吉の下で軍師として活躍。秀吉の天下統一は半兵衛の活躍なくして

なしえなかったとも言われています。その能力は織田信長も欲しがるほどなんだそうです。というのも織田信長も落とせなかったという城をたった16人で落としたという最強の軍師。

 

本来城を攻めるには通常1年以上で何万もの兵で攻め込むのが普通なんですが

半兵衛は16人でなおかつ一夜にして落としてしまうという活躍。

 

その城を落とす作戦というのが厳重な城を通る時に怪しまれずに城に潜入することができたのですが、それは、捉えられていた半兵衛の弟に病気のフリをさせることで

弟の見舞いというウソの口実を作ることで城に侵入することができたそうです。

 

しかも見舞い品として持ってきたのは大量の武器や甲冑(かっちゅう)。

戦う準備も万全でした。さらに城内にいる敵兵を混乱させるために

兵が城内に攻め込んできたと言いまわったそうです。

 

18位:真田昌幸(1547~1611年)358,464ポイント

真田昌幸(さなだまさゆき)とは・・・武田信玄の側近として仕えていたが

武田家が滅びた後は織田・徳川・豊臣など数々の武将の元を渡り歩きました。

その時々で強いものに従う事から「表裏比興の者・食わせ者」といった呼ばれ方もしたんだそうです。なぜこれだけ武将をころころ変えてきたかというとそれは

真田の家を守るため・真田の家に使える家来たちの生活を守るために必死だったようです。

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17位:井伊直政(1561~1602年)370,530ポイント

井伊直政(いいなおまさ)とは・・・真っ赤な鎧で「井伊の赤鬼」と恐れられた武将で

異例の若さで、酒井忠次(1527年生まれ)・本多忠勝(1548年生まれ)・榊原康政(1548年)とならんで井伊直政(1561年生まれ)は徳川四天王に入りました。

そして関ケ原の合戦での傷がもとで死亡(享年42歳)。

なぜこれだけ若くして出世していったかというと、戦場で狙われるかもしれないのに

わざわざ赤い甲冑を着ることで戦場での功績をアピールするという武将の鑑として戦っていたことがスピード出世につながったそうです。

16位:前田利家(1538~1599年)428,264ポイント

前田利家(まえだとしいえ)とは・・・織田信長に仕え数々の戦場で槍の名手と恐れられました。そしてその功績から現在の石川県に加賀百万石の領地の礎を築きました。

 

そんな槍の名手ですがその槍を見ただけで敵は逃げてしまうほどのスケールだったそうですが槍の長さはなんと6.3メートルあったそうです。そしてこの槍ですが

イメージでは「突く」というのを想像しがちですが、当時は「叩く」事が多かったそうです。しかもその威力はすごく、鎧の上からでも骨折させるほど。

15位:毛利元就(1497~1571年)443,032ポイント

毛利元就(もうりもとなり)とは・・・もともとは領主の次男坊でしたが

たった1代で中国地方を支配する大大名へ成り上がります。

元就が最も優れていたのは知能で織田信長もその巧みな戦略を恐れて手が出せなかったほどなんだそうです。最も有名な戦略は厳島神社での戦いです。

 

毛利軍4000人に対して敵軍が20000人と圧倒的不利な状況でしたが

海賊を仲間にする」という方法で打開しました。

 

どのようにして海賊を仲間にしたのかというと・・・戦いが始まるのを予め予測していた元就は海賊の頭首と元就の親戚を結婚させることによって仲間にすることで

5倍の兵力差を覆しました。

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14位:浅井長政(1545~1573年)451,080ポイント

浅井長政を選んだ理由として

・義理堅いところ

・誠実そう

・情に厚い

・人の良さが語られている

といったものが上がりました。

 

浅井長政とは・・・織田信長が勢力を拡大し始めた頃、現在の滋賀県北部の北大江を治めていた武将で浅井長政と織田信長は義理の兄弟でした。

しかし、織田信長を裏切り、1570年姉川の戦いで織田軍に敗れ、3年後に29歳という若さで自害します。

織田信長を裏切った理由というのが、もともと織田信長は自己中心的な人物で

なんでも自分のものにしてしまう何でも奪ってしまうという考えがあり、それに対して

浅井長政は一緒にいられないと思い裏切ったんだそうです。

そんな浅井長政ですが、領民思いだったので年貢が苦しい時は年貢を少なくするという

優しい一面がありました。

13位:前田慶次(1533年~1605年)592,311ポイント

前田慶次(まえだけいじ)とは・・・大ヒット漫画「花の慶次・雲のかなたに」の主人公で上杉景勝に直江兼続とともに仕えた武将です。

付いたあだ名は派手な衣装で権力に屈しない「天下一の傾奇者

そのエピソードとして語られているのが、天下人の秀吉が前田慶次を見たいため登城しろと言われたときに、普通は正装していくものを、前田慶次は派手な虎柄の衣装で登城したんだそうです。

 

さらに自分の主君以外には頭を下げたくないために、お辞儀をしたと思ったらちょんまげを横に向けて頭を下げたそうです。普通はこんなことをしたら首を落とされてもおかしくないところですが

面白いと秀吉に認められた傾奇者となりました。

12位:直江兼続(1560~1619年)614,312ポイント

直江兼続(なおえかねつぐ)とは・・・豊臣秀吉に家臣に誘われてもなお上杉家に忠誠を誓い続け、

さらには領土が4分の1に減ったしまった主君である上杉景勝を見捨てないすごい忠誠心だったそうです。

そんな直江兼続を選んだ理由として以下の意見がありました。

  • 義理人情に厚い感じがする
  • 主君思い
  • 忠実なところ
  • 生きる姿勢が好き

その中でも一番の理由としては鎧兜に書かれている「愛」という文字。

この1文字がすべてを語っているのがわかりますよね。

そんな「愛」の文字ですがLOVEという意味ではなく、「愛染明王」の「愛」だったそうです。

愛染明王というのは愛を司る神として祀られました。

11位:加藤清正(1562~1611年)638,579ポイント

加藤清正(かとうきよまさ)とは・・・秀吉の家臣で虎を退治したほどの猛将。

熊本城・名古屋城・江戸城を作った築城の名手です。後に熊本城は西郷隆盛も落とせず

固い守りに屈しました。

 

そんな熊本城のすごいところというのは、

城の石垣が上に行くほど反り返しが強くなっているため武士や忍者も登れなかったそうです。

またお城の周りに攻め込まれて身動きが取れなくなっても食べ物を確保しておけるように

畳に乾燥した芋や蓮をいれていたそうです。また壁には干しかんぴょうを入れたりと

食べられる城になっていたんだそうです。

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10位:石田三成(1560~1600年)763,358ポイント

石田三成(いしだみつなり)とは・・・現在の滋賀県生まれで、頭が良く秀吉の右腕として豊臣の添加を支えた人物。官僚的な立場から豊臣政権の基盤を作りました。

その人間性はとにかく誠実で私利私欲は一切なかったそうです。また三成がいたおかげで

全国の税金に関する不正が無くなったとも言われています。

9位:明智光秀(生誕不明~1582年)999,256ポイント

明智光秀(あけちみつひで)とは・・・織田信長の右腕として働き京都に城下町を築きました

また天下統一目前の信長を暗殺。その本能寺の変からわずか13日後に豊臣秀吉に討たれました。

 

そもそも織田信長の家臣として働くようになったのは、もともと信長に通訳や礼儀作法を教える役として採用され尾張弁を話す織田信長と足利義昭を繋ぐ役目として士官したんだそうです。

8位:黒田官兵衛(1546~1604年)1,141,250ポイント

黒田官兵衛(くろだかんべえ)とは・・・豊臣秀吉のナンバー2として天下取りに貢献したほか

備中高松城の水攻め・中国大返しを指揮しました。

黒田官兵衛は天才的で47回ものいくさをしているが一度も敗れたことがありません。

しかも敵を説得して降伏させ兵を損失しないように努めたそうです。

ただこの頭の良さが仇となって秀吉が頭が良すぎることで天下と取られるのではないかと疑いの目をかけらそれに気がついた官兵衛は如水という名前に変え隠居したそうです。

7位:武田信玄(1521~1573年)1,559,338ポイント

武田信玄(たけだしんげん)とは・・・甲斐の虎と恐れられ、織田信長でさえ敵に回すことを

ためらったと言われる猛将。三方ケ原の戦いで2時間という速さで徳川家康に圧勝しました。

また土木王とも言われていて、今の山梨県にある甲府盆地を水害から守るため「信玄堤」を築きました。

6位:豊臣秀吉(1537~1598年)1,589,749ポイント

豊臣秀吉(とよとみひでよし)とは・・・織田信長に仕え低い身分から成り上がり大出世した武将です。また明智光秀の裏切り(本能寺の変)で信長が自害したころから明智光秀を倒し

その勢いのまま天下統一を果たしました。

 

そんな秀吉は信長の配下にいた時から徹底して戦わずしてかつ戦法をとっていました。

その方法というのは城を金ピカにすることで自分自身がいかに経済力を持っているか

財政的に豊かだと知らしめ、相手方に戦う意志を無くさせたと言われています。

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5位:徳川家康(1543~1616年)1,704,695ポイント

徳川家康(とくがわいえやす)とは・・・江戸時代終盤に今の静岡県を拠点に信長や

秀吉としのぎを削り天下統一を目指した人物。そして関ヶ原の戦いで豊臣軍に勝利し

戦国時代を終わらせ、江戸幕府を開きます。さらに湿地帯だった江戸を人の住める街に変え

今の東京の礎を築きました。

4位:真田信繁[幸村](1567~1615年)1,950,394ポイント

真田幸村(さなだゆきむら)とは・・・第8位にランクインした真田昌幸の次男で1614年

大坂冬の陣では徳川の軍勢相手に出城「真田丸」を築き劣勢の中、引き分けに持ち込む。

翌年大坂夏の陣の活躍で「日本一の兵」と呼ばれ、徳川家康をあと一歩のところまで追い詰めました。

3位:伊達政宗(1567~1636年)1,956,394ポイント

伊達政宗(だてまさむね)とは・・・18歳という若さで伊達家を継ぎ頭首となり東北で勢力拡大

しました。その若き才能に豊臣秀吉からも目をかけられていました。

そして独眼竜でおなじみの武将でもあります。

伊達政宗といえば全身黒の甲冑が有名です。これは自己アピールの狙いがあったと言われています。

2位:上杉謙信(1530~1578年)2,025,230ポイント

上杉謙信(うえすぎけんしん)とは・・・現在の新潟県になる越後を治め、同時期に

武田信玄・織田信長とともに生きた人物。最強と言われた武田信玄とは12年という間に

5度も戦ったが決着がつかず。また破竹の勢いで小田郡を手取川の戦いで撃破しました。

そんな上杉謙信は軍神ともいわれるほど強く、戦では先陣を切って敵陣に乗り込んでいたそうです。

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1位:織田信長(1534~1582年)3,478,822ポイント

 

織田信長(おだのぶなが)とは・・・現在の愛知県である尾張の名もなき大名だったが桶狭間で

25000人対3000人(織田軍)という圧倒的に不利な状況で今川義元を撃破しその名を轟かせました。

長篠の戦いでは家康と同盟を組み武田軍を撃破し、近畿、中部、北陸地方にまたがる大国を築くが

天下統一目前で明智光秀に討たれました。

出演者一覧

【MC】爆笑問題 

【ストーリーテラー】東出昌大

【ゲスト】高橋英樹、高畑淳子、瀧本美織、ビビる大木、福本大晴(Aぇ! group/関西ジャニーズJr.)、山崎怜奈(乃木坂46)、黒田基樹(駿河台大学教授)、本郷和人(東京大学史料編纂所教授) 

【VTR出演】遠藤憲一、カンニング竹山、草刈正雄、中村芝翫

 

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